最近ふと、意識がもって行かれることがある。
あの時の優しい時間に。
ただただ碁を愛し、君を好きだと言えたあの時に。

「今日は遅くなるから先に眠っていて?」

寝過ごした頭に今日のスケジュールを反芻させながら
鏡に映ったキミへ声を掛けると
白いシーツから出た金色の髪がくしゃっと揺れた。

「あぁ・・・お得意さんの指導碁だっけ?」
「そう」
「でもさ、その仕事だけなら夜は・・・」
「その後」

「寄るところがあるから」

一瞬強張った手で素早くネクタイを締め視線を落とすと、
足下に落ちていた彼のワイシャツが目に入り、思わず眉をしかめた。
やはりちゃんと掛けておけばよかった。

「悪いけど、今日はキミが洗濯をしてくれるか?」
「いいぜ。」
「じゃぁ、行ってくるよ。」
「アキラ!」
「・・・・・・」
「愛してる、から」

肩越しに見えたキミは曖昧な視線を漂わせて掠れた声で呼びかける。
別にいいのに。

「うんボクも」

キミは何を恐れているのか。

「愛しているよ。」

ボクはただ、あの頃にすら戻れないのが怖いだけ。
でも、キミはそれ以上の何かに怯えているんだろう?
だからどんなに辛そうでもそう言わずにはいられない。
ボクもそう返すしかない。
例えお互い苦痛しか伴わなくても
ボクはキミを抱いて、キミの名前を呼ぶしかないんだ。

そうしないとボク達は

「愛してる、ヒカル」

もう一度、壊れた音色に直して絞り出したら
キミも同じような顔をした。

「ありがとう」
「うん」

静かに後ろ手で扉を閉めたらその直前、
密かにすすり泣く声が聞こえたような気がした。
よかった。
まだ、まだ彼は大丈夫だ。
下から吹き上げてくる風はボクの乾いた頬に容赦なく突き刺さる。

「ボクはもう、泣くことすらできないよ」

何故か不意におかしくなって顔を押さえた。
おかしい。
おかしすぎて・・・笑うしかないじゃないか。

ボクは彼を好きだった。
純粋に、好きだったんだ。
ボクを孤独だと気付かせてくれた彼が。
その孤独を少しでも埋めてくれた彼が。
彼の碁が。
ライバルである彼が好きだったのに。

「進藤・・・」

口に出してみても、その名で答えてくれる人はもういない。

「進藤っ・・」

碁を打つための犠牲が、こんな形になるなんて間違ってる。
でもボクは彼を好きだから

「愛し て  る」

そういうしかない。
きっと彼も同じだから。

碁を愛しているから。
好きを無理矢理愛してるに変えてそれを繋ぎに打つしかないんだ。
お互いを犠牲にしてでも。


電車の窓か碁会所が見える。
ゆっくりと流れていく景色に、そこだけが切り抜かれたように孤立していた。
二度と行くことの出来ない場所。
夢になってしまった時間。

『好きだよ。進藤』
『オレもお前の事すっげー好き』

「好きだ」

だから

「好きなんだ」

だから、進藤・・・

目を閉じるとボクはまた、あの時間の中にいた。


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