片割れの進藤ヒカルはこう言った。
「アイツが悪い」と。


大手合の帰り、エレベーターへと向かう道すがら進藤を見つけて。
今日は珍しく相手に最後まで粘られたのかと想いながら「よう」と軽く手を上げた。
すると進藤は少し間をおいて、いつもより若干低い声でぼそっと答えた。
負けたんだろうか?
でもコイツは碁のことに関しては殊更前向きで、ちょっとのことで腐ったりしないはずなのに。
そのままの流れでコイツとエレベーターに同乗したが、その間もずっと視線はどこかをつまらなそうに凝視しているだけだった。
エレベーターを降りても、廊下に出ても、棋院の自動ドアを潜っても・・・・・・・
どこまでもどこまでも・・・・・・

「だあーーーーーっ!!もう!ちょっとお前来い!!!」

昼下がりの朦朧とする暑さとそれ以上に重くじっとりのしかかるコイツの暗さに我慢が出来ずに、
渋る所を完璧に無視して、近くのマックに引っ張り込んだ。
進藤は適当に席取りに座らせといて、オレはカウンターで適当な商品を注文する。
でもアイツ、最近食生活乱れてるって言ってたから、野菜を採らせた方がいいよなとサラダを付けることは忘れない。
・・・・一体なにやってんだ。オレは。

待つ時間もそこそこに、手際よくトレーに乗せられた二人分の食い物を持って、階段を上がる。
道路側に面した窓際の席に、進藤は未だ渋い顔で座っていた。

「ポテトとビッグマックと、あと適当に買っといたぜ。これからサラダも食えな」

出来るだけ普通を装って(てか寧ろ何時も以上に明るく振る舞って)依然としてテーブルを睨み付けたまま何もしようとしないコイツの分の食料を並べていく。
そしたら礼も言わずにコーラを啜ってまたテーブルと睨めっこだ。正確に言えば、テーブルの上に置かれたトレーとマックの広告紙と。
前々から思っていたけれど、この自分の不必要なまでの世話焼きクセはなんとかしなきゃと思う。
オレは今日負けたのにさ。
でもって恐らくコイツは勝ったんだろう。なのになんでオレがコイツに気を使わなきゃならないんだ。
しかも当の本人が一体何で拗ねてるのかすらわからねぇ。
さて、どうやって切り出したものか・・・・・・

とりあえず婉曲に探りを入れてみるかとオレが口を開きかけたとき、おもむろに進藤が声を絞った。

「アイツが悪い」と。








片割れの塔矢アキラはこう言った。
「彼が悪いんです」と。


大手合の帰り、今日は中押しで勝ちを貰って早く帰ればよかったんだが、対局室を出たときに事務の人に捕まって来週長野で行われるセミナーについて打ち合わせが始まってしまった。
そのセミナーではオレは司会を任されていたから、その殆どは向こう側の激励の言葉で、好意を反故にするわけにも行かずうなずき返していた。
やっと解放されたのは打ち切った棋士達までもが対局室を後にした時で、辺りには人の気配が無かった。
唯一、自動販売機付近の椅子に腰掛けている塔矢アキラを除いては。



「どうぞ」
「すみません」

市ヶ谷近くのマック。
何故かオレは、塔矢アキラと共にそこにいた。
マックは未だ物珍しいのか、店内に入るなりキョロキョロと落ち着かない彼をとりあえず二階へ行かせて、オレは二人分のメニューを注文する。
程なくして出されたトレイをもって二階へ上がるとすぐに、塔矢は見つかった。
どうやら一番手前の席を取ったようだ。取ったというか早く座らないと落ち着かなかったのかもしれない。

とりあえず、定番だろうと想って頼んだポテトを彼の目の前に置くと、少し遠慮しながらもその一本をつまみ出し、口に運んだ。
暫く無言でお互いにポテトを口に運ぶ。端から見れば男二人が、異様な光景だ。
思いながらも目の前の彼を観察する。
ファーストフードでさえ上品に食べる塔矢はやはりどこまでも清潔で好青年な印象を受ける。
そう言うと必ず和谷が「そんなところも気にくわねェんだよ!」と言うけれど。
少なくとも今の塔矢はどこか覇気がなく背筋は真っ直ぐな筈なのに、心が萎れている気がした。
そんな塔矢の姿を見ていたら、例え面識が皆無に等しくても放って置けなくて。

オレも和谷の事はいえないな

「食い物、これでよかったかな?オレ、塔矢の好きなものとか、余りよくわからなくて」
「いえ!美味しいです。すみません、わざわざ・・・」
「今日は、塔矢も手合いだったよな?」
「はい。」
「えっと・・・まさかとは思うけど、負けた・・・とか?」
「いえ、勝ちました」

そうだよな。大体彼は、負けたくらいで落ち込むような柔な精神力じゃない。
強い心。オレの、欲しいもの。

「じゃあ、なんで?」
「え?」
「今日、ずっと座ってただろう?あそこ」

余りはぐらかして問いつめても埒が明かないだろう。オレは直球に聞いてみた。
そうしたら次に、多少ためらった後に出てきた言葉は、彼には珍しく拗ねたような口調だった。

「彼が悪いんです。」と。






別段、彼等が言う「アイツ」と「彼」が誰を指すのかを聞いたわけではなかったが、この状況で相手を此処までウジウジさせる片割れは一人しかいなかった。
要するに進藤ヒカルと塔矢アキラは喧嘩したのである。
そして自分たちはその犬も食わぬなんとやらに巻き込まれてしまったらしいと---------
人情として相談相手に成ってやったことが究極のお節介であったことに和谷と伊角は漸く気が付いた。
どういう経緯で喧嘩になったのかは知らないがもうこの時点で相手からは何も聞く気が起こらなくなった。
二人は同時に己の世話焼きな性格を呪う。
和谷に至っては今後一切、他人への気遣いは殺して活きようと心にまで誓って。
未だテーブルと睨めっこする彼等の前で、脱力でふう〜と軽く身体を仰け反らせる。
するとその拍子にずれた身体が、一番遠く離れた奥テーブルに座る、見知った姿をお互いに発見してしまった。
視線を合わせ眼を瞬かせる和谷と伊角。そしてその相手の手前には、今し方までこちら側の相談相手が「あっちが悪い」と責任の矛先を向けていた片割れの背中があった。
これはマズイ。マズ過ぎる。
二人は一気に青ざめた。
棋院や碁会所でならまだしも、この公共の場で二人が対峙して、龍虎対決のリアルステージが始まったりなどしたら・・・
和谷と伊角は吹き出す汗もそこそこに端っこ同士で頷いて見せた。
どうやらお互いの最悪なビジョンは共通しているようだった。
そして何が何でもそれだけは阻止せねばならないという決意も。
ピシッと居住まいを正して相談相手に向き直る。決して彼等を振り向かせてはならない。
和谷と伊角は、まるでリーグ入りをかけた大一番に臨むときのように身体を緊張させた。
が、

そういう時に限ってタイミングは悪いものだ。

「あ、オレちょっとトイレ」
「すみません、やっぱりボク帰ります」

なんというシンクロ率での退席。
まるで鏡に映った様に二人同時に椅子を引き、腰を上げ、振り返り・・・・・

「「あ・・・・・」」

ぴったりと、眼を合わせた。

終わった・・・・・

両端の不運な二人はそう思った。


「・・・・塔矢」
「進藤・・・・」

ぼそりと呟いたはずの言葉は、周囲にその他の客がいるにも関わらず大変明瞭に聞こえて。
互いの名前を呼んだきり、口を開こうとしない二人は、つかつかと無言で店内の中央へと歩み寄る。
ああ、とうとう本当の盤外戦が始まる・・・・・
そう覚悟を決めた和谷と伊角だったが、何を思ったか次に中央の彼等が取った行動はお互いの手を握りしめることだった。


「ごめん」「すまなかった」


「「・・・・・・・・は?」」

中央の二人と、
両端の二人は同時に呟いた。
なぜにそうなる。

ぽかんと口を開けながら頭に疑問符を浮かべる和谷と伊角など、既に無いも同然のごとく、二人は二言三言、言葉を交わしはじめた。
こうなったら乗り掛けた船、例えそれが泥船であったとしても渡りきってやろうじゃないかと、両端の二人は耳を欹てるが、肝心の内容はごく一部しか理解できない。
どうやら聞こえないようにぼそぼそと耳打ちをしているらしかった。
その距離が異様に近いことはこの際目を瞑るとして・・・・

「・・・・も、お前のことばかり・・・・・・・」
「うん・・・・・ボクもキミが・・・・・・・・」

時折、狙ったように誤解される部分だけ聞こえる気がするのは何故だろう。
既に中央の二人には喧嘩していた形跡もなく、ロマンチックモードに突入していた。
なにやら、さっきとは手の繋ぎ方が、繋いでいると云うより絡め合っていると表現した方が適切な形に変化している気がするのは気のせいだろうか・・・・
その後も周囲のギャラリーはそっちのけで二人の世界を満喫し合った二人は

「・・・・・る?」
「・・・・うん・・・」

満足そうに微笑んだ。



「「・・・・・・・・・・・・・・」」



何かが解決したらしい中央の二人は、そのままの手で仲良く階段を下りていった。
店内に微妙な空気だけを残して。

取り残された和谷と伊角はぜんまい仕掛けの人形よろしく、首をきりきりと回しお互いを見た。
再び同時に首を振る。
どうやら、今度も考えることは同じのようで・・・・・・・
素早く同時に席を立つと、あらん限りのスピードで、しかし静かに目立たずに店内の2階席を後にした。






SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送