向かい側の通路を流れる皿に目を付けて、折り返し地点。
すぐさま手を伸ばそうとして、失敗した。

「あああっ!お前なんでそれ取るんだよ?!」
「なんでって・・・」

食べたかったからに決まってるだろう。と
オレの腕を追い越して、あっさりと目当てのネタをぶんどった腕の持ち主が当たり前のように言った。
コトリと皿を手前に置いて、しょうゆの入った瓶を傾ける。
昼時も大分過ぎて空いた店内。
回るネタの数もほどほどで、もう少し早く来た方がよかったかななんて。
それでもまぁゆっくり食えるから良いかと想ったのが甘かった。
オレの思考なんて関係ないとでも言うように目の前のオカッパはさっきオレからふんだくった寿司を一カンずつ箸で摘んで口に運ぶ。
すこしは・・・一つくらいオレに寄越そうと言う気にはならんのかオマエは・・・

「オレだってそれ食べたかったんだぞ!向こう側回ってるときから狙ってたんだからなっ!」
「そんなの知るか!大体キミがお寿司を食べたいって言うからボクは・・・!」

ぎゃんぎゃんと、さっきから一皿取るごとにやれ先に自分が食べようとしてただの食い意地が悪いだの騒ぎまくっている。
二人だけで角のテーブル席に座れたのがせめてもの救いだった。片方だけの隣席には客もいないし。
・・・・二つ向こうの席に座るカップルの視線は痛いけれど、まぁそこはいつものことだから気にしないことにする。
大体前まではもっと痛かったんだ。
コイツに至っては回る寿司なんか片手で数えるほどしか行ったことがなくて(というかそれすら全部オレが連れて行ったヤツなんだけど)未だにセルフサービスのお茶だとか、タッチパネル式の注文方法に四苦八苦していた。
今でも時々間違って清算ボタンを押して無意味に店員を呼びつける事がある。そしてオレが謝る。・・・何でだよ。
それでもめげずに塔矢を連行し続けた努力の甲斐あって最近では大分慣れてきたけれど。
一番初めなんて寿司が回ってること自体完全否定しやがって、自信満々に「そんな非常識な店があるはずがない」ってオレのこと鼻で笑いやがった。
絶対コイツ、銀座のナントカっていう回らない寿司しか食ったこと無かったんだぜ。
だから流石にオレもカチンときて、その日の昼、対局中は飯を採らないコイツを引っ張りだして近くの回転ずし店に行ったんだ。
その時のコイツの驚きようといったら、ビデオカメラで撮影して棋院中に流してやりたいくらいの傑作だったぜ。本人はいたって冷静にしていたつもりだったみたいだけど。
しばらくは回る皿をじっと見詰めて、まるで最新の棋譜を観てるような眼で睨んでんだもん。
で、茶も入れて一口飲んで落ち着いたところでのコイツの第一声がこれだった。

「こんな無防備に回して食い逃げされないのか」って。

オレ本気で茶吹くかと思ったぜ。何時の時代だよそれ。「ナントカの飢饉」って歴史のヤツだろ?
マックに連れて行ったときも大概だったけど、コイツって本当に俗世っぽいっつーかそういうもんに縁がなかったんだなーとちょっとある意味、凄い純粋な天然記念物でも観察している気分になった。
クリオネとかさ。でもあれ獲物食うとき怖いんだよ。そういうところも似てるな。

そんなこと思っていたら目の前のヤツは着々と自分の分だけ皿を取って黙々と箸を動かす。
う・・・トリ貝食うなよ何かクリオネっぽい。
色々と考えながらオレはじーっとコイツの顔を見ていたらしい、気付いた塔矢がゴクンと飲み込んで睨み返してきた。

「なんだ、まだ怒ってるのか」
「別に」
「本当に子どもだな、キミは。」
「あのなー」

皿の回収ボックスに興味津々で顔近づけてたのはどっちだよ。
そりゃオレも出来たばっかの頃ははしゃいで皿ぶち込んでたけど、それは二十歳越えたオトナのすることじゃないと思う。
湯飲みに粉末のお茶を入れて湯を足しながら、ついでにコイツのも少なくなってたから注いでやった。

「ああ、ありがとう」

一応礼だけは忘れないところがらしいというか何というか。

「オマエさー大丈夫なわけ?」
「何が?」
「対局」
「ああ、右辺か?心配ない。中央の睨みも効いているからな。後半で一気に差をつけるよ」
「じゃなくて、飯。オマエ最近よく食うじゃん?対局中に飯食うと集中力途切れんじゃなかったっけ?」

今日も、打ち掛けの合間に来たのだ。
本来の塔矢アキラなら、昼飯はもってのほか、なんだろうけれど。
最近コイツはよく昼飯を食うようになった。
それまではコイツの食べているところっていったら、泊まりイベントでのお偉いさんの接待とか北斗杯の合宿でしか見たこと無かったから何となく新鮮で、思わずじっと観察してしまう。
そうしたら食べ方も綺麗なんだって、最近気付いた。
碁を打つ時みたいに背筋を伸ばして箸使いも滑らかで、茶道の稽古の雰囲気をそのまま身に纏って食ってるみたいだった。
でもだからってこちらに圧力がかかるわけでもなくて、寧ろ気持ちいい。
つられて食欲が出てくるんだ。
で、塔矢にまた食べ過ぎだって怒られるんだけど。半分はオマエの所為なんだからな。
心の中で愚痴をこぼして相手を観れば、丁度最後の一カンを飲み下しお茶をすすっているところだった。

「どうしてかな。キミがいるとお腹が空くんだ」

ふぅ・・・とご立派に満足そうな溜め息をついて、しみじみと言った。
あーそれは同感だよ。オレだってオマエ見てると腹が減る。

「オマエ何時もは家に一人だからなー。寂しいんじゃねぇ?」
「そうかもしれないな。」

からかい半分のつもりだったのに。
「そんなことない!」って、ムキになると思っていたのに。
出てきた言葉は何の取り繕いもないもので、こっちが焦った。
そういえば、コイツ、プロに成り立ての頃とか、どうしていたんだろう。
オレは院生に入っていたから、プロになった時からもうその世界に友達がいて、打ち掛けの時は一緒に昼飯を食べる相手もいたけれど。
コイツは院生だった訳じゃない。塔矢門下の弟子ではあるだろうけれど、年齢が離れているその人達の中には友達って呼べる人は殆どいなくて、いたとしても、その人はきっとプロの世界では既に何処か別の仲間集団に所属しているんだろう。
コイツの入る余地はない。ましてやコイツにだってプロに成り立ての頃は低段者の時代があったんだ。
その低段者の対局日には門下の人すらいないだろうし。

もしかしたら、だからこんな癖がついたのかな。
昼は食べないって、食べないんじゃなくて食べられなかったんじゃないのかな。
・・・お腹減ったって思う余裕も、無かったんじゃないかな。
その頃はきっと、オレに失望して、上しか見てなかったはずだから。

思えばもともと食べる姿は数えるほどだけど、コイツが本当に、美味しそうにものを食べているのを見たのは、北斗杯の合宿で社も含めてわいわい食べた寿司が初めてだった気がする。
だからかな、オレの中ではコイツと寿司って凄く関連深い気がするんだ。
あのとき、安心、したのかな。

「・・・あのさ」

やばい、こんな事思ったらコイツに怒られる。
でも一度出てきたものは中々押さえられなくて

「今夜、お前ン家に行ってやる!」
「・・・・は?」

無意味にその場に立ち上がって、相手を睨み付けながら言い放つと、案の定「訳が分かりません」と顔に書いた塔矢がオレを見上げてきた。

「どういう意味?」
「いっ意味なんてない!!」
「なんだ、無いのか」

それは残念、と
くつくつ笑いながら最後の皿を回収口の中に滑らせた。
横のタッチパネルを操作して清算ボタンを押すとすぐに店員が駆け付ける。
なんか、今日はやけに手際が良いじゃん。

会計を済ませて店を出ると、対局開始時間の20分前だった。

「ふー食った食った」
「うん。それで進藤、今日の夕飯はどうしようか?」
「お前もうその話題?この後対局だぜ」
「それはそれ。夕飯、家で食べていくだろう?」
「まぁな」
「じゃあ何か作ろう。帰りに材料を買いに行こうか」
「お前が作るの?」
「ああ」
「えー」

その日、いつもより速いペースで午後を打ち切ったオレ達は帰りにスーパーへ寄った。
そしてその夜初めて食べたコイツの手料理は、予想通りとても美味しいとは言えないものだったけれど、それでもどうでも良いことを喋りながら半分けんか腰になりながら、結局はそうやって顔をつきあわせることは楽しくて。
結局それからは時々夕飯までコイツに付き合うようになってしまった。
必然的に料理をする機会が増えたコイツは、根っからの凝り性も手伝ってか何冊も料理の本を買い込んで、部屋の本棚は碁関連の中に時々時々料理という変なレパートリーになった。
ふと思い立ったときにその本を取り出してパラパラ捲ってみたら、ちゃんと付箋とか、折り目とか、ときにはなんかのタレのシミまで付いているし。
多分本気でやってたんだろうな。
そして塔矢はいつの間にか、逆に料理雑誌にもその腕を紹介されるほどの達人になって仕舞って。
なんか、今じゃ自分で一冊オリジナルレシピの本まで出しそうな勢いだ。
てかそのメニュー全部オレが美味しいって褒めたヤツなんだけど。

まぁ、碁打てなくなったら転職できるしいいんじゃね?って布団の中で言ったら「キミ次第だね」って笑われた。
冗談じゃねぇ。
いくらオレでもそこまで面倒見切れるか。
思いっきり渋い顔して言い放ったら、またまたそんなこと云ってと、ウザイぐらいの笑顔が迫ってきて

「でもまぁ僕も、キミとは打っているときが一番幸せだよ」と段々近づくその声に、オレはゆっくり目を閉じた。








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