あまりにも違和感があって振り返った。
いや、一般的に云えば、それが普通なのだろうけれど。
すれ違い様の一瞬、人違いかとも思ったが盤を挟んで幾度となく見た其の瞳は紛れもなく本人のもので。
気が付けば彼の腕を掴み、廊下横の自動販売機の置かれたスペースに連れ込んでいた。
なんだよ一体とか痛てーじゃねぇかとかぶつぶつ言う彼を無視して、兎に角椅子に座らせる。
何故こんなに焦っているのか。
何だか、他の人に見せてはいけないような気がした。

「・・・キミ、どうしたんだ?それは」
「ああ?」

それ、と言いながらボクが指差した先を進藤が軽い調子で指先に絡ませた。
色素が抜けていつもは黄色みがかって見える前髪が、今はこれでもかと云うほど真っ黒だった。

「なに?やっぱり変?」
「いや、そういうわけではないが、どうしてまた・・・」
「んー?宣戦布告?」
「は?」

到底この状況下では飛び出しそうもない熟語を云われ、対処に困る。
固まったボクの様子をどうとったのか、別段気にする風でもなく彼は立ち上がり、財布を取り出して自動販売機のボタンを押した。
音と共に出てきたのはいつもと同じ、砂糖の塊と同意義な炭酸飲料水。
それだけを見れば、いつもの彼と何ら変わらないのに。
プシュ、と短い音を立てた後それを一口飲んで椅子に座り直す。緩慢な動きだった。

「おまえさー、タイトル保持者なんだから、そのオカッパ改めろって云われたら、どう思う?」
「・・・・は?」
「お前さっきからそればっかり!」

どうせオレの気持ちなんて塔矢名人・棋聖サマにはわかりませんよーだ!とふて腐れてジュースを煽る彼。
もう、こうなった彼には、どんな通訳者を当てても読解不可能だ。

「なにか、云われたのか?進藤本因坊?」

目の前で彼を見下ろしていても埒が明くはずも無し、とりあえず隣に座って目線を合わせた。
と言っても彼は眉を寄せて、唇を尖らせて、缶の側面の栄養表示欄を睨んでいたのだけれど。
・・・キミ、本当にタイトルホルダーか?
くるくる変わる表情の所為か、彼は見た目以上に若く快活として見られて、云われなければタイトルはおろか棋士などという職業すら浮かばせないだろう。
だが彼は紛れもなく棋士であり、タイトルホルダーだった。
それも囲碁界で最も権威ある名。本因坊。
彼がずっとこだわり、囚われ、追い求めていた名。
それを今年、彼は初めて手に入れた。
ずっとその名で君臨していた桑原先生を僅差で引き離し、やっと手に入れた時の彼の顔は、今でもどう表現して良いかわからない。
ただ、その直後から殺到した取材依頼の合間を縫って、なぜか僕の襟を引っ張り強引に僕もろとも因島に連行した理由だけは、何となく分かった。

「・・・穢れるって言われたんだ」

数ヶ月前に飛ばしていた思考が彼の不穏な声に引き戻される。
穢れる?
また数メートルは話の布石が飛んで置かれた言葉に、ボクは首を傾げるしかない。

「オレ、本因坊取ってから無駄にメディア関係で忙しくなったじゃん。碁の特集番組とか、雑誌のオファーだとか。」
「そうだね。」
「で、その間中もずっとこの髪だったじゃん」
「うん、でもキミ、それは」
「言ったよ。染めてるんじゃないって。地毛だって。そしたら一体どこのハーフだってからかわれた。」

それにはさして気にした風でもなくさらりと言葉を続ける。
そう、彼のこの髪は生まれつきだった。
初めは冗談で言っているのかとも思ったが、そんなそぶりはなかったし第一ボクにまでそんなウソを言っても何の特もない。
それにふわふわと風に靡くその軽さや、太陽の日を受けてはキラキラと、月の光を浴びてはぼんやりと白銀に浮かび上がるその色に、とても人工的なものは見いだせなかった。
まるで、天から与えられたような、その輝きは。
一度だけ、何かの弾みでそんなことを零したら、彼は一瞬眼を瞬かせて此方をじっと凝視した後、照れくさそうに「へへへ」と笑っていた。

だがその髪も、まだまだ格式を重んじる碁界にとっては若者が染めるグロテスクな髪色と何の区別もつけられなくて。
現に彼が言うには、プロ免許の授与式初日から事務員の人に色々と忠告されたそうだ。
そして、いま現在も。

「でも、そんなこと・・・キミにとっては今更じゃないか。何故、急に」

事実、棋院側がどれだけ彼を問いただしても、彼がその言葉を真に受けて己の髪を染め直したりしたことは一度もなかった。
それは、彼の静かな抵抗だったのだと思う。自分は自分なのだと。
それがとても彼らしくて、ボクは彼の髪が一層気に入っていた。

「そりゃあ、オレだけならいいよ。でも」

「歴代の、本因坊の名が、穢れるって」



“Sai”が穢れるって------------------



そう、聞こえたような気がした。
キミは、
“彼”の為ならば、自分さえも捨てるのか。




「だから、染めた。」


何かに囚われたようにクルクルと自分の前髪を弄ぶ。
つい昨日まで、光の種類で何色にも輝いていたその髪が。
碁会所で挟んだ盤の向こう側、斜めに差し込む日の光にオレンジ色に輝いていたその髪が。
今はただ、人工的な蛍光灯の光を淡々と照り返し、黒々と光って。
まるで、罪を償うように。

ボクは思わず、彼の弄る指を掴んだ。


「塔矢?」
「・・・これ、落ちないのか?」
「カラースプレーじゃないしな。まぁほっといたら、根本から新しいのが生えてきて戻るけど」
「じゃあ早く生やせ」
「無茶云うなよ」

ケタケタと明るく笑う様子が、貼り付けたようで更に胸部が苦しくなる。
掴んだままだった彼の手をどけ、変わりにその髪に手を触れる。
以前より少しごわついた感触に眉を寄せ、流れる髪に以前の姿を重ねては溜め息を付いた。
それでも人よりは元々細いであろう彼の髪はその息にさえふわりと靡く。

「お前、この髪イヤ?」
「嫌だよ」
「ふーん」
「キミの色じゃない」

なんだよそれ。と笑う顔には、あの時の碁会所でキミがはにかんだ表情が重なって。
同時に、いくらか意識的に押さえた感情が痛々しかった。


「好きだよ」


彼の身体が、ピクリと揺れた。

「好きだよ、ボクは。キミの髪が。キミの色が。」

そして何より、キミの碁が。


無理からに因島への同行をさせられたあの日。
それはもう十分に暑い5月の初めで、少ないバスを乗り継いだ先には静寂な眠りの場所が待っていた。
さわさわと木々が梢をこすらせる音と、漏れる光、目の前に、静かに佇む墓石と。

『取ったよ。やっと。-------待たせてごめんな・・・』


その時、5月の風に撫でられた彼の髪の色が。今でも目に焼きついて離れない。



『・・・・い』



その時のキミの髪の色は




「本当に、綺麗だったんだよ」

だから、穢れるなんて思わないでくれ。
誰より真っ直ぐで、たおやかで、美しく光るキミの碁が勝ち取ったその名を。
キミの碁の中に息づく、かの人と共に手に入れたその存在の証を。

「あの色は、キミと、その人の色じゃないか。」

























後日談。
上の辛うじて成り立っている空気を壊したくない方は読まないでください。







「ところで、何が“宣戦布告”なんだ?」
「ああ?」
「この場合、云われたことに従ったんだから降伏宣言だろ?」
「読みが甘いな、塔矢名人サマは」
「その呼び方はやめろ」
「だーかーらー、オレが此処でいきなり髪を黒くするだろ?」
「うん」
「したらお前みたいに人の迷惑考えないでどうしたんだこうしたんだって問いつめるヤツが出てくるだろ?」
「・・・・・・・・うん」
「そうしたらさ、集まったテレビカメラの前でオレが言ってやるんだ。“上の人に染髪は碁の格式を著しく損なう恐れがあるから染め直してこいと言われたんです。
オレとしては自分の髪を自由に扱う権利は当然あると思うんですけれど、そうしたら今回の本因坊の権威は剥奪だって言われました。
確かに本因坊の名を語る上でこの髪は問題があるのかもしれないと今回はココロを入れ替えて染め直しました。
でもオレはこの仕来りをこれから次々と入ってくるだろう期待の新人にまで厳守して貰う必要はないと思っています。
彼等の自由を護るため、皆が個性をのびのびと発揮できるように自分を犠牲にしてでもこれから上に交渉をとり続けるつもりです”って。」

あ、もちろん途中ですすり泣き入れてな?
とまるで原稿用紙に書いてきたような語り文句をすらすらと並べた彼に、ボクは、つい先程まで彼に向けていたボクの感情を返して欲しいと本気で思った。











まぁ所詮そんなもんだろうよ。
私はヒカルの髪は地毛派です(笑)
あ、ヒカアキは染髪も良いなぁ〜♪


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