「すみませんが、あなたとお付き合いする気はありませんので。」

その一言に、僕は錯覚すら覚えた。
初夏の日差しが差し込む料亭。
横に伸びたふすま戸は開け放たれ、枯山水の白と若葉の青が瑞々しく輝いていた。
切り取られた風景を右手に、僕は丹塗りのテーブルを挟んだ向こう側に勇ましく座る彼女を観た。

「聞いてますか?」

もう一度、強い口調で声をかけられる。
仲人がお決まりの文句と共に去った後の静かな空間に彼女の声は少しの揺るぎもなく凛と響く。
言われてみて初めて気が付く。
今まで僕に同じ言葉を投げかけられた女性達は少なからず驚きとショックと・・・何とも言えない空虚な気持ちに苛まれていたのだろう。
この瞬間、目の前に着物をきちんと着こなして座るなんの思い入れもない彼女に言われた僕でさえ、その言葉はただその意味として冷たく、突き放された感覚に襲われたのだから。

「僕とは、これきりで会わないと?」
「はい。」

僕には珍しい多少遅れをとった応答とは対照的に、間をとることなく縦に振られた頭と声に、僕はやっと落ち着いて息を吐くことが出来た。
どうやら今日は手短に済みそうだ。
当初予定していた状況とは逆になってしまったけれど結果的には断ることが出来た(というか断られた)ので良しとしよう。
そろそろ、如何に相手を傷付けずに断るか、台詞と言い回しを創り出すのに頭が疲れていたところだった。
こんなに都合の良いことはない。

「では、私はこれで」

すっくと滑らかな動きで立ち上がり、彼女は濡れ戸に置かれていた草履に足を引っかけ色彩豊かな日本庭へと消えてしまった。
サクサクサク・・・と小気味いい音が遠ざかり、・・・・カコン・・・・と随分間を空けて鹿威しの声が響いた。
もう一度無音の溜め息を吐き、糊のきいた黒袴の襟に指を通す。
僕ももう此処にいる必要はない。
帰って溜まっていた棋譜の整理と、詰め碁集の編集をしようと立ち上がりかけたとき、高さの変わった視線の先にきらりと光るものが飛び込んできた。
前屈みにテーブルへと手を付き奥の方・・・彼女の座していた付近を指でなぞると、固いものがあたり、手を引っかけて持ち上げてみると光の中から細長い物体が現れた。
髪飾り(かんざしと言うのだろうな)のようだ。
漆塗りの滑らかな光沢に包まれた針が日中の光を受けて鮮やかに輝き、手首を傾ければその細身に載せられた光は滑るように移動して先端ではじけた。
反対側に付いているのは何か縁起物の花だろうか・・・
先程まで無かったのだから彼女が立ち上がったときに落ちたのかもしれない。
返そうと考え振り返った時、先の彼女の様子を思い返し庭に向かいそうな自分の足を止めた。
随分と慌てて出て行ったようだったから何となく直ぐに会うのがためらわれる。
もしかすると相当今回の件が気にくわなかったのかもしれない。いつもの僕のように。

僕ははっきり言ってまだ、僕の人生に身を置いて理解を示し、生涯付きそう人を求めてはいない。
しかしその意志に反し、二十歳を過ぎた頃から囲碁関係者を情報端末として何かと社長令嬢やら女流棋士やらの写真が実家に送りつけられるようになっていた。
いわゆる、見合い話だった。
初めのうちは付き合うのも馬鹿らしく、届いた紙束と写真を片っ端から破り捨てていたのだけれど、日に日に増える縁談に無視では通らなくなり、
周囲に納得のいくよう説明することすら億劫になってきて、相手をその場で切り捨てる。という行為に及んだのだった。
舞い込む話は受けるだけ受けて、当日、期待や不安を綺麗な服装で包み込んでいる女性達をその場で切り捨ててしまうのだ。
たった一言。
「貴女とお付き合いする気はありません。」と。
その時の僕の様子たるや、僕をよく知る人間ですら驚いて一歩退いて観てしまうほど、驚くほど冷たい目をしているらしい。
お陰で相手が涙を流すことも珍しくなかった。
罪悪感はある。
だが僕の都合も察して欲しいものだ。
その気もないのに人間関係や大人の事情で「まあまあ」となだめられ、自分の感情に関係なく有無を言わさず駆り出されるときの憤りといったらない。
見合いの後は何時も最悪な気分で酷いときには碁にすら影響が表れるようになっていた。
それがたまらなく不快で吐き気がした。
それでも無茶苦茶な断り方を続け、周囲に「塔矢アキラ」の恋愛に対する冷酷さが広まり始めたのか、最近では見合いの話も少なくなってきていたのだけれど。
久しぶりに来た縁談がこれだった。

今回は全ての状況が逆だから、もしかしたら今彼女に再会するのは得策ではないのかもしれない。
だが、だからといって僕がこのまま持って帰るわけにも行かない。
暫くかんざしの上を滑る光を見ながら悩んでいたが、仕方なく僕はもう一足用意されていた大きめの草履を履いて彼女の形跡を追った。

白砂流の窪みを左右に見据えながら進むと、やがて白は新緑の垣根へと代わり木漏れ日が黒袴にゆらゆらと移った。
背の高いツツジの木と名前すら分からない木々達が細い道を作り上げている。
うねうねと曲がりくねるその道を僕は多少早く歩を進めた。
やがて頭上の木葉は腰元まで下がり、大きく右へ曲がると橋が見えた。
短くこんもりとしたカーブを描く橋の丁度頂に、彼女は両腕を付いて高架下を流れる川を眺めていた。
だがその表情には先程までの勇ましさはなく、代わりに儚く頼り無げな目を伏せ、川を飛び越したどこか遠くを見詰めているようだった。

ためらう足を叱り、変化の無かった彼女との距離を徐々に詰めていく。
後一歩で橋の上にかかるというところで彼女と目があった。
途端にあの瞳が力を持って僕を捉える(というか睨み付けられる)。

「川に、何か見えるのですか?」

立ち止まって微笑んでみる。
指導碁の時に使う表情で当たり障りなく彼女に話しかけてみるが反応がない。
何しに来た?と言うところだろうか。

「お邪魔をする気はありません。ただ、このかんざしをお忘れではないかと思ったので。」

言いながら袖に収めていたかんざしをかざすと、彼女は一瞬眼を見開いて自分の胸元や腰回りをパタパタとはたき始めた。
その様子が余りにも子どもっぽくて僕は思わず上がりそうになった声を抑えた。

「貴女のもので?」

近づいて、目の前に差し出すと彼女は一度僕の顔を凝視してかんざしを大切に持ち上げた。
優雅な手つきで持ち変えると、髪には刺さずに懐へしまい込んだ。
先端の花だけが彼女の胸元から顔を出しつやのある光を放っている。
それに指先だけで触れ、存在を確かめた彼女は肩を揺らし顔を上げて

「ありがとう。」

ほんのりと、年齢には似つかわしくない表情で笑った。
僕に向けられたそれは余りにも透明で、不確かで、次の言葉をかけることも出来ないまま僕は彼女に背を向けた。

「今日は、すみませんでした。」
「・・・いいえ」

背後からかかる声に僕は振り返らずに返事を返す。
一度止めた足を進めて、橋の板張りの床から小石の敷き詰められた白い地面へと降り立つ。
そして彼女との距離が確実に開いたことを確認してから風に押されるようにゆっくりと振り返り一言。

「僕も、最初から断るつもりでしたから。」

それだけ投げかけると、彼女の反応も見ないままに木々の中へと紛れ込んだ。
元の道を逆に進み先程の部屋には戻らずに控え室へ。
仲人とその他諸々の関係者の人たちに何時も通りの謝罪を述べ、深々と頭を下げた状態でその場を後にした。

駐車場へとでると舗装されたアスファルトは午後の日差しを浴びてゆらゆらと陽炎を昇らせていた。
奥へ停めた黒の車体に近づき、ポケットの中の鍵に手をふれスイッチを押す。
軽い音を立てたドアに手をかけ乗り込む。
車内に充満していた熱気を窓を開けて追い出しながら差し込んだ鍵を回し、走らせた。
ハンドルを切り、料亭を囲む石垣の横を通過する。
石垣のてっぺんからほんの少し覗く木葉にそこが先程彼女が立っていた橋の付近だと気付いた。
さらさらと流れる清流にくすんだ丹塗りの橋脚・・・
儚げな彼女の横顔が蘇り、思わず頭を振る。

「僕らしくもない」

なぜ、あんな事を言ったのだろう。
ただ無言でその場を立ち去ればよかったのだ。
その時はただただ無意識に口にしたつもりだったが、今となっては最後の言葉がまるで、子どもの負け惜しみのように聞こえてしまう。

「くそっ」

石垣が途切れ、その姿はバックミラーに虚像を残すだけとなった。
ハンドルを更に切る。
狭い路地へと車体を無理矢理ねじ込めば、再び浮かび上がりそうになる彼女の虚像と共に
石垣は完全に見えなくなった。














こーいう恋に無関心なアキラさんが、段々心惹かれていくのとか好きです。

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