が倒れたと連絡が入ったのは夜になってからだった。

韓国にいる父からメールで送られてきた棋譜を自室で整理し、あとは明日の予定を確認して後は電気を消すだけとなったとき
晩秋の虫の、過ぎ去る秋を惜しみつつ漏らす音を裂くように机の上の携帯が振動した。
ディスプレイに現れた初めてみる「橘さん」の文字に、このアドレスを登録したときの会話が蘇る。

「緊急の時以外使わないから、・・・一生、かける事なんてなければ一番なんだけどね。」

冗談交じりにそう言った橘さんの顔。
まさか、本当にこの日が来るだなんて。

「アキラ君・・・落ち着いて聞いて。・・・ちゃんが、倒れたの。
・・・もしもし?アキラ君?聞いているの?」

否定しようと必死で働く頭に響いた第一声は、やはり予想していたもので、
依然として呼びかける彼女の声は手から滑り落ちた携帯と共に畳の床に打ち付けられた。






道を塞ぐ勢いで止めたタクシーに乗り込み、流れる景色さえ何時までも止まっているような感覚に襲われる中、前方に病院の姿が浮かび上がってくると
ボクは車が完全に停止する前に財布を投げ出しドアをこじ開けた。
飛び出した勢いをそのままに病院の裏側へと廻り古びた扉を体当たりをする様に開く。
階段を駆け上がり見上げると、タクシー内で橘さんから聞いた手術室のランプは既に消えていて、辺りに人の気配はない。
はあはあと滅多に使わない身体の部分が悲鳴を上げて必死で落ち着かせながら周囲を見回す。

もう、病室に戻っているのだろうか。

ボクの家から病院までは遠い。
進藤の家からとではおよそ二倍の距離があって高速に乗ったとしても一時間弱はかかる。
手術は成功したのだろうか・・・いまはどうしているのだろうかと暫くその場で右往左往してみたがそれで状況が変わるわけでもなく、
とりあえずのいた病室へ行ってみることにした。
踵を返し階段の手すりへ手を掛けたとき、奥の廊下の曲がり角から明かりが漏れていることに気付いた。
煌々と白く切り取られたその上を動く影もあり、どうやら数人で何かを話しているらしい。
何となく忍び足で側まで寄って壁に背をつける。
盗み聞きのようで悪いかなと言う思考をストップさせたのはよく耳に馴染んだ声が叫ぶ内容だった。






「どうして?!そんなこと聞いてねェよ!アイツはそんなこと言ってなかったぞ!!」
「進藤君、落ち着いて」
「状況が変わったんだ。だからこの事はまだ彼女も知らないんだよ」
「そんなこと関係ねえよ!は言ったんだ!!」

夜の病院の片隅で明かりを漏らすのは小さな診察室。
その中には一人の少年と看護師と医者がいた。
先程から暴れ叫んでいるのはヒカル。
その眼前には苦い顔をした掛かり付けの医師。
そして、その医師に今にも飛びかかろうとするヒカルを両腕を脇に回して必死で食い止めているのが橘だった。

「くそっ・・・なんでアイツが・・・アイツまで・・・
どうしてなんだよ?!!」
「お願い進藤君・・・・・話を、聞いて・・・」

橘の消え入りそうな声と震える腕にハッとしたヒカルはばたつかせていた四肢をおさめた。
瞬時に静寂に包まれ、頭が妙に冷たくスッキリとしてくる。
と、見上げたヒカルの視線を目の前の医師が正面から捉えた。
この院内でも最も優秀な彼の刺すような瞳にヒカルは一瞬身体を震わせたが、それでも消えない怒りなのか悲しみなのか解らない感情を持てあまし
先を促すように目の前の彼を睨んだ。

「現状は・・・今話した通りだ。睡眠薬の所為で今は眠っているが、明日には目が覚める。」

そこで一度息を吐くと
若い医師は組んだ両手を額に当て、前屈みになった。

「・・・だが、今回のちゃんの症状、精密検査でも解ったが、彼女は・・・ちゃんはもう長くはない」
「でもアイツはオレに言ったんだ!!来年のっ・・・・

来年の桜は・・・一緒に見られるって・・・・・・」


初めは張り上げていた声は風船のようにどんどんとしぼんでいって、最後は風の音よりも小さかった。
金色の乱れた前髪が垂れ下がり、色素の薄い目を隠す。

「だから、オレ・・・初めは信じられなかったけど・・・
あの時アイツが笑って話すから・・・それでもアイツは幸せだって言ったから・・・
オレはそれを受け入れようとしたのに
残りの時間、めいいっぱいアイツのために使って、桜を見て・・・最後は笑って・・・アイツに迎えに来て貰おうと思ったのに・・・・っ!!」
「進藤君っ・・・」

震えるヒカルの身体を、橘は後ろからきつく抱きしめた。
そういていないと、自分も立っていられなかったから。
ちゃんはこんなにも皆から想われているのにどうして逝かなければならないのだろう。
いつの間にか自分の涙がヒカルの上着を濡らしていることに気が付き顔を上げると、ヒカルの身体が床へと崩れた。
それと同時に天を仰ぎ、ヒカルは叫んだ。

「どうして・・・」

「どうして待ってくれないんだよ??!!」

ヒカルの割れた声が闇を抱き込む病院内に響き渡る。
その反響と共に、ヒカルは拳を床に打ち付けた。

「くそっ・・・くそっくそ、くそっ!!・・・・・くそぉ・・・・」

医者は目を閉じ、橘はその場で嗚咽を混じらせていた。










何時までそうしていただろう。
ヒカルはふいに立ち上がると、そのままふらふらとおぼつかない足でどりで診察室を出て行った。
依然として泣いている橘の横を通り、廊下へ出ると何の音も聞こえない。
吸い寄せられるように闇に溶けた道を歩き、ヒカルはあまり知られていない屋上へと続く階段の踊り場へと向かった。
そこは昔、よくと病室を抜け出しては碁を打ったり他愛ない話をして笑いあった場所だ。
提案するのは殆どヒカルだったが、はその自由な時間が何より大好きで、
アキラも最初こそ顔をしかめてはいたが、二人に手を引かれては直ぐに表情を緩ませ苦笑するのだった。
三人の・・・とヒカルとアキラのキラキラ光る思い出の場所。
その思い出にもう一度包まれたくて・・・

しかし、そう願うヒカルが屋上の一つ下の階まで昇ったとき、そこにはただの悲劇とも、悪夢とも呼べる現実が待っていた。




塔矢アキラが


闇夜に溶け込む様にして、冷たく光るその瞳で
ヒカルを睨み付けていた。















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