「“塔矢アキラ五段、絶不調。棋界のサラブレッドの実力発覚------”か・・・」
「まぁた、天下の塔矢アキラもすげー言われようだな。」

先程も散々と耳に挟んだその言葉。
目の前に広げた週刊碁のトップ記事を挟んで伊角と和谷は苦い顔をした。
周りを囲むその他の若手プロや院生メンバー達もまた似たり寄ったりの表情でそれぞれの顔を見合わせている。

ここは和谷のアパート。
一人暮らしを始めた和谷が主催で開いている研究会の最中、休憩も兼ねてと碁盤と散らかった菓子はそのままに院生の一人が持ってきた週刊碁を広げたところである。
二つ折りの紙束をバサリと開けば嫌でも飛び込んでくるその一面。
そこにはここ一ヶ月間に急速な低迷を見せている囲碁界期待の星、塔矢アキラを批判するあおりがデカデカと綴られていた。
紙からはみ出さんばかりに書かれたその文字面は見るからに毒気たっぷりで、トーナメント戦の余韻で興奮していた彼等の熱はゆらゆらと微妙な空気に変化していく。

「まぁ、塔矢アキラも人の子だし、不調になるときくらいあるんじゃない?」

そう大して気にするでもなく答えたのは今年プロになった女流棋士、奈瀬だ。

「そうかもしれねェけど・・・仮にも塔矢だぜ?塔矢アキラ。」
「随分長いようだし・・・どこか体調を崩したりしていないか心配だな。」

小宮と本田は布団を背もたれ代わりに座り込みながらう〜んと唸り、再び視線を紙へと戻した。

「体調不良って事はないと思うけど・・・でもアイツ、ここ最近変わったよな。」

伊角の持っていた雑誌を取り上げるともう一度そこに移る彼を凝視して溜め息を吐く。
和谷の不可解な言葉に周囲は揃って首を傾げた。

「変わった?」
「あ・・・いや、悪い意味じゃなくてさ。皆も感じてたんじゃねェ?最近、つうか、絶不調になるまでのアイツ」

「・・・トゲが取れた?」

眼鏡を押し上げ一言。今まで黙止していた越智が一斉に皆の注目を集めた。

「そう、まさにそれ。プロになってからさ、なんかどんどん柔らかくなってきて・・・」

和谷の言葉に周囲は思い思いの塔矢アキラ像を思い浮かべた。
すると指摘されたとおり、初期の塔矢アキラは物腰こそ柔らかいが、どこか他人を近づけないオーラを放っていて。
本人がそれを自覚しているのかいないのかは知らないが、棋士達の間では表世界の通称である「棋界のプリンス」の他に、密かに「氷の棋士」と呼ばれていたくらいだ。
だが最近の塔矢アキラはどうだろう。
云われるまでは気付かなかったが、確かにここ数年、数ヶ月、記憶が新しくなればなるほど彼等の頭の中の塔矢アキラは微笑んでいるのだ。
それもきっと心の底から、自然に。
何か大切なものを見つけたように・・・
その証拠に院生時代からプロに成り立ての頃までずっと塔矢アキラを嫌っていた和谷も、最近の彼の心からの態度に徐々にかさついた感情をおさめてきていた。

「なのに今は絶不調・・・人付き合いも相当らしいし・・・ほんと、分からないな」

はぁ・・・と、
伊角の言葉に皆の口から溜め息が漏れる。

とそこに、ふいに玄関のドアが開けられ、敷居の向こうから今正に話していた彼と、生涯のライバルと称せられる人物が入ってきた。

「ちわ〜っす・・・・って、・・なんか妙に暗いな・・・・」

なんかあったの?と聞きながらバッグを降ろす進藤ヒカルに皆の視線はまたもや一斉に動き、彼を見詰めた。
異様な視線に困惑しつつも、既に密度が相当な部屋に上がり込み、そこら辺に散らばったお菓子の残骸をかき集めスペースを作ると腰を下ろした。


「なぁ進藤、お前はどう思う?」
「は?」

転がった紙コップをたぐり寄せ、飲みかけの特大ペットボトルを傾けたヒカルは危うく中身を零しかけた。
それはそうだろう。
部屋に入った途端にいきなり当てられる不穏な空気と視線。
更に第一声が目的語も省略された疑問文なら冷静に答えろという方が無理な話である。
惚けた表情で頭を突き出す進藤に、和谷は何故かイライラと逆立った髪を掻きむしった。

「だからっ、塔矢のことだって!塔矢ア、キ、ラ!!」

やたらと区切られたその単語に、ヒカルは瞬時に眉をしかめた。
片手に持ったコップを煽り飲み干すと握りつぶして遠くのゴミ箱へ投げつけ、それは見事に命中する。

「知らねーよ、あんなヤツ。」

見るからに不機嫌ですというオーラを出しながらヒカルはすいっと立ち上がると一人、碁盤の前に座り込んで棋譜を並べ始めた。
いきなりの変貌に周りが顔を見合わせる中、奈瀬は一人いつものように話しかける。

「進藤も見たでしょ?週刊碁」
「ああ、見たぜ。全くヒデェ碁だったよな。アイツがあんなポカやるヤツだとは思わなかったぜ。」

奈瀬の質問にそれだけを答えると、振り向きもせずに黙々と石を置き続ける。
心なしか先程よりも打ち方が乱暴になっていた。

なに怒ってんだよ。
一瞬にして曇った表情に和谷は片眉を上げる。
塔矢アキラと進藤ヒカルの関係は、今や棋界とそれに携わる誰もが認める公認のライバルであった。
常にお互いを意識し合い、そして相手こそが自分にとっての唯一無二の存在であると自覚している。
そして数々の苦難を乗り越え、それぞれが一つの頂点に居座るようになった今でも、お互いに取りづらくなったオフの時間を合わせてはプライベートに碁会所で盤を挟むことを忘れない。
だからこそ、今回の塔矢アキラの不調に対するヒカルの様子には、なるほど納得いくと感じる反面、全く納得がいかないのであった。

今のこいつ等なら不調の時にこそ打つだろうに。

近頃はこの研究会にも顔を出す機会が減ったヒカルは、それだけアキラと会う機会も少ないのだろう。
その時間を今日、こうやって取れているのなら何故ヒカルは彼に会いに行かないのだろうか----

悔しいけど、今のオレじゃ、お前らの応援しか出来ねぇよ。

そして大手を振りながら、足だけは止めない。
タイトルホルダーという遙か前方を歩く彼等の足音は聞き逃さないように。
その音にいつか、自分の足で追いついてみせる。

だから、頼むから、全力で追いつく俺たちを足を止めて待つことだけはしないでくれ。


広く逞しい彼の背中。
いつの間にか碁を打つ時にはゆらゆらと静のオーラを身に纏うようになった彼。
その背中越しに石を打つ音が規則正しく響いてくる。
今はその中に隠しきれない感情の波が揺らめいている。

パチ、パチ、パチ、と
音に混じり彼を想う音が。

「さて、休憩終わり。打とうぜ」

らしくもない思考を頭と共に振り落とすと、和谷は一旦大きく拳を突き上げた。
身体が十分に伸びきった後更に首筋を数回慣らすと腕まくりをし、手近な碁盤を引き寄せる。
弱気になってはいけない。
今はただ、目の前の宇宙に意識を落とそう。遙か遠くに輝く場所。
次にあの座に居座るのは必ず自分だと。
そして自分たちの目差すものがそんな簡単に形に出来るものではないと知っている。
恐らく・・・一生かかって求めるもの。
棋士ならば避けて通れぬ宿命。
その一手を極めたとき、果たして人はどうなるのか。



きっと、本当に神様の仲間入りが出来るんだよ-------



昔、お互いを友とし、ライバルとし、凌ぎを削っていた院生時代。
今背中を見せる彼と共にメンバーに加わった彼女の言葉がふいに蘇る。
何時でも歩みを止めなかった彼女。
彼女はきっと、今でも歩き続けている。神の一手へ。








パチ、パチ、パチ・・・・・・
背後からは石の音。
そして以前聞こえるアキラへの噂。
嫌でも頭に蘇るここ最近のアキラの棋譜。
全てを外へ押しやりたくて、ヒカルは益々目の前の盤面に集中した。
それでも石を持っていれば、真っ先に浮かぶのは彼の碁で・・・・
ここ一ヶ月の彼の碁は負けるために打っているような、素人が見ても目を覆いたくなるような内容のものだった。
彼らしい勝負強さと打ち筋は全く見られず、中盤の入り口で殆どの勝負は付いているのに、それにすら気付かずに打ち続ける碁。
既に負けた碁。

「くそっ」

それらの無惨な模様に舌打ちをすると、ヒカルの中に益々やりきれない怒りと焦燥がこみ上げてくる。
あの塔矢アキラが此処まで堕ちた理由。原因は分かっている。
だ。
が倒れたその三日後、アキラは彼女に会いに病院に来ていたらしい。
院内ですれ違いざまの橘にその事を聞いたヒカルは何となくイヤな予感がして、その後自分もに会いに行ったのだった。
生憎手合いの予定が詰まっていたので実行に移したのはアキラがを訪ねてから更に一週間経った時であったが。
に聞けば、やはりアキラはかなり動揺しており、ろくに睡眠も取っていない様子だったという。
そしてそれ以来、彼は一度も見舞いに来ていないのだと・・・
寂しそうなの笑顔にヒカルの心は密かにいたんだ。
それからというもの、ヒカルは手合いのない日はなるべく早くの元を訪ねるようにしているが、一ヶ月経った今でも
一度としてアキラの姿を病院内で見かけた事はなかったし、棋院でも以前に比べて顔を合わせる機会が少なくなったような気がした。
何となくではあるが避けられていると感じたのでそれだけの事もあるだろうし、無理には話しかけなかったのだが・・・

『なんだよ・・・これ・・・』

木曜日の大手合、打ち掛けの時に何気なく覗いたアキラの一局があまりにも酷くて・・・
急いで対戦表を確認すると案の定、塔矢アキラの行には今まで見たことが数度しかなかった黒星があの日を境に並んでいた。
大手合の棋譜は作成されないし最近は彼と話しもしていない・・・だが、まさか此処まで影響を受けていたなんて

また、自分は気付いてやれなかったのか?

急いで今月の週刊碁を買い目を通す。
折りたたまれた表を返せばそこには大きく「塔矢アキラ完敗」の文字。
横に申し訳程度に記された文章が名人戦予選の対局であったことを知らせていた。
が自分に週刊碁を見せない理由がやっと分かった。
沸き立つ怒りを何とか押し込め、ヒカルはそれを乱暴に畳んだ。
棋譜は・・・見る気になれなかった。

『なにやってんだよ・・・オマエ』

「名人」はアキラの父、塔矢行洋の二つ名であった。
幼い頃から父を慕い、自らの目標として掲げていたアキラ。
その父に追いつく一つの形がこの「名人」のタイトルホルダーに自らがなることであった。
彼がどれほどこのタイトルを手にしたいと切望していたか・・・憧れの父に追いつき、越えてゆくために。
なのに・・・

(放っておけば、そのうち何とかなるかと思ってたけど、もう我慢出来ねぇ)

依然止まぬ背後の会話に一層怒りを沸き立たせると


-----バチィッ!!


(オマエの今のだらけっぷり、オレが直接知らしめてやる!)

ひときわ大きな音をたて置かれた石に彼の姿を重ねて睨み付ける。
緩く靡く黒髪の向こうに彼が此方を見詰めている。

(塔矢、やっぱりオレ達は、なかなかキレイに収まりきらねぇんだな)

過去にヒカルが乗り越えた出来事を
今度はアキラが乗り越えなければならない。
絶望の淵を彷徨うヒカルを、この道に連れ戻したのは間違いなくアキラ。
そして碁を打ちたいという純粋な強い想いと、その想いを同じくして共に彼を目標に歩んでくれたがいたからだ。
佐為を見つけたアキラと、佐為の存在を分かち合える
彼等がいたから今のヒカルがいるのだ。

(打とう。塔矢。昔オマエがオレに教えてくれたこと、そっくりそのまま返してやる。)

再び石を置き始めるヒカル。
しかし今度は静かに、一手一手を噛みしめるように。
ヒカルとアキラの、本当の初対局の棋譜を。

(どこの記録にも残ってねぇけど、オレの頭の中にはしっかり残ってる。
オレはこれからもずっと、こんな碁を打ちたいんだ。オマエと。そして-----------)


とも、佐為とも-----------


十九路の宇宙に石の星を紡ぐたびに、あの時が鮮やかに蘇る。

(塔矢・・・・・)



進藤ヒカル棋聖対塔矢アキラ王座のタイトルを賭けた闘いは
四日後に迫っていた。



















ヒロイン名前しか出てないし(汗)
文字書きじゃない私の書く文字なんて所詮こんなもんです・・・








SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送