肌を刺す冷気を遮断するために、オレはコートの襟を立てて前を合わせた。
並木道を急ぎ足で進む。
すっかり葉を落とし眠りについた街路樹達が北風に枝を震わせ鳴いている声を聞きながら。

妙院の正面玄関。
オレは中へ入る前に、外から見えるの病室の窓を一瞥した。
窓が、開いていた。
はぁ・・・という溜め息と共に口から立ち上った白い湯気が視界を真っ白に包み込んだ。
その煙を振り切るように早足でオレは、その病院の中で唯一窓の開いている病室へと急いだ。



コンコンとノックをした後の短い返事で、オレは内心ほっとしながらもノブをひねる。
中に入ると、室内を暖める暖房と、窓から吹き込む冷気とで空気が複雑に渦巻いていた。
軽く目眩を起こしそうになりながらも急いで窓際へと急ぎ、窓を閉めた。
ついでに鍵もかけてしまうとようやく“こちら”に戻ってきたらしいが笑いかける。

「あ、ごめん。寒かった?」

背後から今錯覚しましたと言わんばかりのにオレはもう慣れっこだから肩を竦めて向き直って見せた。
指で額を小突きながら今が何月か分かってるかと問うてみると、はばつが悪そうに首を傾げてはははと声を出して苦笑する。
久しぶりに見た気がする。

「ん〜だってさ、外の音、聞きたいし。」
「匂いも、風も?」
「うん。そうそう。」

閉めてたら分からないからね〜と頭を掻く彼女は出会った頃ののまま。
彼女は周囲の空気を敏感に感じ、そこへ瞬く間に溶け込んでしまう。
オレは周囲の人に対してはそうだと、塔矢にも云われたことはあるけれど、の場合はどちらかというと環境に、だった。
自然の流れを感じていると心が安らぐらしい。
そして、その雰囲気から隔離され続けるのを嫌うのだ。
院生時代の頃は、不戦敗が続いていたオレを連れて、よくのお気に入りだという静かな場所に連れて行って貰ったりしたっけ。

「にしてもなぁ、もう12月だぞ?12月。少しは考えろよ。」
「そうだけど・・・」
「ここ入ってきたとき、メチャクチャな気候してたぞ。暖かいのか寒いのかわかんねーよ。」
「ははは、この窓の風通しがいいのかな?」

そう言ってまた、ぽっかり空いた窓を見る。
まただ・・・
前々からはちょっとぼうっと意識をどっかへ持っていくことがあったけど、それはオレと同じようなもんだと思ってた。
二人にしか見えない、アイツの影響とか、そう言うの。
でも、この病院にきてからは変わった。
もっともっと深くて遠い、オレじゃ絶対に届かないようなずっと向こうを見るようになった。
この窓から

だからオレは、この窓が嫌いだ。

時々ぶち壊したくなるときがある。
ドアを開ければ真っ先に視界に入るこの窓は、いつかを飲み込んでしまいそうで怖くなる。

「・・・

どうしてもこっちに戻って欲しくて、の額に手を当てた。

「週刊碁、見たよ」

チラとベッドの脇へ視線をやると、見慣れたロゴ入りの紙面に当たる。
そこでは今週見事に勝ちを取った塔矢アキラがいつものポーカーフェイスで微笑んでいた。

「あれからずっと負け無しなんだって」
「ああ、知ってる。ついでに名人戦のリーグ入りまで果たしたってさ。
心配するまでもなかったみたいだな。」
「うん、塔矢アキラ、完全復活だね。」

まるで自分のことのように喜ぶ
きっと塔矢の不調に少なからず責任を感じていたんだろう。
塔矢が絶不調の時はもそうで、あの時期は一度も笑わなかった。
でも、アイツに一発食らわせたせいかその後の塔矢は一気に調子を取り戻し、まるで今までのことが嘘のように連戦連勝を続けている。
雑誌にも塔矢の実力を褒めこそすれ、なじったり、悪く言ったりするものはなくなった。
もともと本人は外面だけは良いヤツだし、このままでいればその内今回のことは忘れ去られるだろう。
で、今のの笑顔があるわけだ。
あとは・・・

「アキラ、元気にしてるかなぁ・・・」

そう、アイツは調子を取り戻したけど、依然としてに会いには来ていなかった。

「大丈夫だろ?こんだけ勝ち続けてりゃ」

紙面上の顔をピンと弾いて肩を揺する。
とは言っても、やはりそこは気がかりだ。
が何時も笑っているためにはアイツがどうしても必要なのに。

がオレに塔矢の様子を訪ねるとき、決まっては寂しそうな顔をする。
だからオレはアイツの話をするたびに、小さなトゲを溜めていく。

「くすくすくす・・・」
「?」

そんなオレのセンチメンタルな心境とは裏腹に、突然が笑い出した。

「な・・・なんだよ?」
「ううん・・・ごめん。だってアキラ、ちょっと前の王座戦第一局・・・後のインタビュー記事で左のほっぺに凄く大きなあて布してたの、思い出して・・・」

アキラったらヒカルとの対局で勢い余って転けちゃったのかな?
と前屈みに肩を揺らすの言葉に、オレはギクリと固まって冷や汗をながした。

「わりぃ!
「へ?」

パンッと両手を前で合わせて、突然許しを請うオレに、訳が分からないと云ったような声を発する。

「その・・・オレ・・・・・・お前との約束、破った」
「・・・・?」
「あの、さ。あんまりにも塔矢のヤツ、たるんでたから・・・・一発、殴った・・・」
「・・・・・」

ぽかん、とオレを見詰める。あーもうどうにでもなれ!

「いや!そんなつもりはなかったんだけどさ。気が付いたらオレ、手ェ痛くて塔矢は左頬押さえてひっくり返ってて、だからオレ達仲良くは出来なかったわけで、
お前との約束破ったわけで・・・」
「くすっ」
「へ?」

今度はオレがみっともない声を上げる番だった。

それがきっかけみたいに身体をくの字に曲げて痙攣紛いの笑い声を上げるをオレは唖然と見詰めて固まる。
ゴメンゴメンといいながら目尻にはしっかり笑い涙を溜めて、何度か深く呼吸をしながら指先で雫を取り払う。

「そっか、それでアキラ、コメントで“天からの一撃で目が覚めました”とか言ってたんだ」

と、言い終わると同時にまたぶり返して息を漏らす。

「えーっと・・・そういう事かな・・・だから無理だって。オレと塔矢が仲良くするなんて。」
「そんなことないよ」

妙に落ち着き払った声に、罰が悪くて避けていた視線を向けると、穏やかな表情のとぶつかってオレは内心ドキリとした。
少し細めて向けられたの眼はどこまでも澄んでいて深い。
ずっと見詰められていたら魂までも吸い取られてしまいそうな、綺麗で、どこか怖い輝きを持つ瞳。
オレがごくり・・と喉を鳴らすとその光は一度遮断されて変わりに長い睫が見えた。
そしてもう一度睫が上げられたと同時に、はゆっくりと口を開いた。

「ヒカルってほんと鈍いなぁ」

無意識にムッと顔を膨らませたオレに、またあの笑顔を向けてくる。
コイツはほんと、そう言うところがずるい。

「ヒカルとアキラは仲良いよ。ヒカルがそんなに頑張ろうと意識しないでも、いつも仲いい。」
「あんな四六時中ケンカばっかしてんのに?」
「ケンカするほど仲が良いって言うでしょ?」

耳にたこができるほど言われたそれを、今更の口から聞かされて少し可笑しく思った。

「でもさぁーオレ達の場合、それ当てはまらないだろ?」

なにせホントにただのケンカだしと空笑いするオレにはくすりと笑った。

「その逆。一番当てはまってるよ。ぴったり」
「そうかな〜」
「そうなの。」

何を根拠にかは解らないけれど、が言うとどんなことでも理屈抜きで信じられてしまうから不思議だ。
それでも渋い顔をしていたオレに、は一言。

「まあ、わかる人にはわかるんだよ。」










『わかる人にはわかります--------------------』
















「・・・・・・?どうかした?」


「・・・おまえらの方が似てるよ。」
「は?」
「オレと塔矢より、おまえらの方が似てる。」




くるくる変わる表情も、言葉の端々の優しさも。
一緒にいるものを取り巻く、その輝きも全てが-----------


「そっくりだ。」
「・・・そっか。」

“誰に”とは言わなかったけれど、にはわかったようで






「じゃあオレ、そろそろ行くわ。」

時計を観ればもうそろそろ出発の時間だった。
隅っこに放りだしていたバックを引っ掴み、肩に掛ける。

「今夜から旅行だよね?」
「旅行って言うなよ〜遊びに出かける訳じゃねェんだから。王座戦本戦第二局。
塔矢のやつ、かなり好調だから気ぃ引き締めていかねーとな。」
「ヒカルのお陰でね。」

うっせェ。と、の方を振り向くと、
は窓の外を向いて驚きに眼を見開いていた。
しかしその眼には安らかな、安心しきった色も見えて--------

「・・・・? おい、!」
「え?!・・・・あ、ヒカル・・・・・」

駆け寄って肩を揺さぶると、少しずれた間隔での眼の焦点が合う

「おまえ大丈夫か?疲れてるんじゃね?」

そう言いながら髪を頬から後ろへ梳いてやると、はくすぐったそうに身じろぎ

「平気平気。凄く元気だから。」

と、オレの手に手を重ねた。


「ね、ヒカル」
「ん?」

しばらく、の髪に指を絡めていた。
何となく、今日はもう少しいたい。
それはも同じなのかさっきからオレの手をキュッと掴んだまま。
柔らかくて、真っ白な、それでも、プロでないのに碁打ちの手。
夢を追い続ける手・・・・

「・・・仲良く、してよね。」

別れ際にいつもが言う言葉だ。
アキラと仲良くしてね。と。
だけど、今日はどこか違った響きをもって

「だーかーらー!オレにはそんな」
「今まで通りでいいんだ。ずっと、そのまま・・・・・っ」

気付いちゃ駄目だ
そう、心の中で叫ぶ何かが、オレの手に力を込めさせた。

「大丈夫だよ。大丈夫。ヒカルもアキラも強いから。だから私は-------」

俯いて途切れてしまった言葉の続き
オレもその先は聞いちゃいけないような気がして

・・・」

更に手に力がこもる。
そうしないと、いなくなってしまいそうだ。
震える手での頬を包んだ。

「オレ・・さ・・・・」

の瞳に吸い寄せられる。
何度か瞬きをして、吐息を肌で感じる。
駄目だ・・・そう思うのに

「ごめん・・・」

そう言ってオレはの額に唇を寄せた。





ゆっくりと顔を離しての顔を覗いても、は怒ることなく笑っていて
オレは泣きそうになった。

「ありがとう」

何が?

「ありがとう・・・ね」

何に対してのお礼なんだ?
わからないのに、この気持ちはなんだろう
泣きたくなるのは何故だろう
でも今は

「変わらないさ」

気付いちゃいけない。

「ずっと、変わらない。良い方向に変わることはあっても絶対に悪くはならない。それで・・・」

この胸騒ぎは何なのか。
彼女に対するずっと積もらせてきたこの想いにも

「神の一手を極めてみせる。」



気付いちゃ、いけないんだ--------------







「うん」

安心した表情をするを残して、オレは病室のドアを閉めた。
自動ドアをくぐると足下では茶色くしわくちゃになった落ち葉が風邪によって舞っていた。
空を見上げれば厚い鉛色の雲が頭上を覆い尽くし、押し迫って来るかのようだ。

「今夜は、雪かもな・・・」

立ち上った白い湯気が視界に入り、オレはもう一度襟を立て直すと駅へと足を向けた。
もうすぐ、夜。

会って貰わないといけない。塔矢に。
どうしても今日。

訳の分からない焦燥感に掻き立てられて、オレは北風と落ち葉の舞うアスファルトの上を歩調を速めて進む。












--------------急いで、ヒカル-----------------














ふと、北風がささやきかけた気がした。
はっとして振り仰げば、
一片の薄紅色の花弁が、風に乗って病院のある方角へと運ばれていく



オレはとうとう走り出した。
街灯の灯りだした歩道を、白い息をリズミカルに吐き出しながら走る。



はらはらはら・・・・
予定より早く降り出したようだ。
小さな結晶が集まったそれは風に煽られながらも視界を白い軌跡を残して通り過ぎる
この様子なら路線にはなんの師匠もないだろう。
だけど今日だけは、この雪が降り積もってしまえばいいと思った。
さっきの
風の音にも似た、ささやきを繰り返しながら---------



















----------急いで、ヒカル------------



          ---------------彼をここへ-------------------------
























ラブというより、ヒカルのけじめでした(汗)
アキラとはもう少し・・・(汗)


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