赤、白、ピンク・・・
色とりどりのコスモスの花は病院の中庭に設けられた花壇から溢れ、隙間無く、
あるところは折り重なり合いながら咲き乱れている。
風が吹くたびに、その淡い色の絨毯は翻りゆっくりと波を打った。

「っあーーっ・・・外もだいぶ涼しくなったね。」

両手に握り拳を作って天高く突き上げると、私は思いっきり息を吐いた。
車椅子の背にもたれ掛かりながら、目蓋を開いて上を見れば透き通った空が何処までも続いて、いちばん端っこでは雲が
低くなった太陽の光を受けてほんのりと色を付けていた。
乾いた秋風が体に心地良い。



っ?!」

不意に車椅子から立ち上がった私を観てアキラは握っていた車椅子のハンドルから手を滑らしたけれど
私は構わずにアキラを残し、一人でコスモスの海の中へ入っていった。
腰の辺りで柔らかい花びらと細い葉っぱが絡まってくる。

「ちょっ・・・っ。そんなことしたら・・・」
「大丈夫だって。全然。」

言って振り返ってみると、優しく揺らめく海を挟んだ向こうで彼は、明からさまに動揺している。
その手は読んでいなかったというような妙手を打ったときのように・・・それよりも表情は険しい感じがするけれど。
思わず笑ってしまう。

「大げさだなぁ、アキラは。」

くいくいと手を動かし、“こっちへ来い”と無言で伝える。
すると彼は何かに弾かれたようにそそくさと海の中へと入ってきた。
花びらの波をかき分ける腕の動きは妙にぎこちなくって、習いたての泳ぎを見ているようで面白い。
いつもは道を歩く一歩一歩でさえ、芯が通ったようにきびきびとしているのに。
その様子にまたクスクス笑っていると、ズボンに幾枚かの花びらを付けたアキラが駆け寄ってきて
私の体を不安そうにまじまじと見詰めた。

「だから、大丈夫だって言ってるのに。」

今度は苦笑も半分混じった。

「そうは言っても・・・よく分からないんだから・・・」

アキラはそう言うと眉間のシワを緩めた変わりに目を伏せて、視線をそらした。
いつもの強い眼差しは何処へ行ったのやら・・・・・・
あの見詰められるだけで体中に突き刺さる熱と、沸き上がってくる言いようのない高揚感は。
まったく、これじゃどっちが病人なのか分からない。
碁盤を挟んだときの彼とは別人のようだ。
そんな彼に苦笑をしながら手を伸ばす。

「・・・っ!ちょっと・・?!」

黒髪に絡んだ花弁をとろうとして手を差し入れたら、なんだか余計にそわそわし出して。
睫の影が落ちた瞳をせわしなく左右に動かしている。

「アハハ・・・ダメだ。いくら取ってもくっついて来るね。」
「え?」

キョトンと見開かれた目に白い花弁をつきだしてみせるとアキラは素っ頓狂な声を上げて
それこそ目玉が落ちそうなぐらいに目を見開いて私の指先のものを凝視した。
何をされたのかを理解するまでに数秒。
と、普段回転の速い彼の頭は漸く本来の機能を取り戻したようで、今度は見る見るうちに頬が赤く染まっていく。
面白い。
坂道を転がるような彼の百面相に、私は今度こそ大声を出して笑った。
その笑い声で、更に赤く染まる彼の顔。
めまぐるしくかわっていく。





時には小動物のように、時には鬼のように。
ころころと表情を変えるアキラを私は、私たちは知っている。

他の棋士や取材の人たちは彼のことを「氷の棋士」とか言っているけれど
違うんだよ。
だってこんなにも・・・
こんなにもいっぱいの表情を見せてくれるんだから。
ただ少し早く大人に近づいてしまっただけで、それでもやっぱり心は年相応で。
「自分」を表に出しづらいだけなんだよね。
それでも
だからこそ----

「自分」をいっぱい表してくれたアキラは凄く綺麗で柔らかくって
何時までも見ていたいと思う。

何時だって、何処でだって、私たちと居るときの「塔矢アキラ」でいて欲しい。




ね、アキラ。








大丈夫だから。














「戻ろうか」

淡いピンクの花弁を乗せた風に、艶やかな黒髪をなびかせながら
彼は柔らかく笑って手を差し伸べる。
その様子があまりにもおとぎ話の一節のようで、私はまたおかしくなってクスッと一回肩を揺らした。

「では、わらわを馬車まで運ぶのじゃ」

手のひらをセンス代わりにパタパタして偉そうに言ってみる。
と、言い終わるか終わらないかの内にアキラは姿勢を低くして私の膝裏に手を回した。

「わっ!」

膝かっくんをやられたみたいに一瞬にして足から力が抜けたけど、
体は落ちるどころかすかさず回されたアキラの腕で一気に持ち上げられ彼のお腹の辺りで固定された。
まさかここまで悪ノリされるとは思っていなくて明からさまに動揺していると

「誠に光栄な任務。」

耳元に唇を寄せ、囁いてきた。

「アキラって最近ノリが良いよね。」

少し嫌みったらしく言ってみる。

「誰かさん達と付き合っているからね。」
「私も入るの?」
「同じぐらいじゃないか。」

打っているときは別だけれど。と体を揺らして笑うアキラ。
その密かな振動がお腹の辺りから私の元にも伝わってくる。

「歩けるからっ」

いたずらっ子のような彼の顔に向かって大人げなく眉を寄せてみても、彼はやっぱり幸せそうに笑うだけで
お構いなしに歩き始めた。
コスモス畑の海の中。
私の肩はギリギリ見えるか見えないか。
アキラに抱えられたまま渡るその海はとても神秘的で・・・綺麗で、暖かくて・・・・

恐ろしい。

そのまま自分は・・・
自分も、
消えてしまうんじゃないかと思うくらいに、
怖くてアキラの腕にしがみついた。
それに答えるようにして、少しだけ力を強める彼の腕は、何時の間にこんなに逞しくなったんだろう。

体も、心も、そして・・・・・碁も

同じ時間を生きてきたはずなのに彼は・・・彼等は、どんどん成長していって
それに比べて私はまるで時が止まったままで、置いて行かれているようで不安。



トクトクトク



規則正しい心臓の音。
アキラの音。

そう言えば初めてかもしれない。
こうやって命の鼓動をしっかり聞いたのは。
アキラの音も、ヒカルの音も、一人ひとりみんな違うんだ。

私の、音も。










ねぇ。




あなたもそうだったんですか?
私と同じ気持ちでしたか?
置き去りにされてしまいそうな不安に、悲しみに、ずっと耐えて来ましたか?

それでもきっと、不幸ではなかったんですよね。

だって私がそうだから。


ねぇ。

私があなたの元へいくかわりに一つだけ叶えてください。
私の願い。
ずっと、ずっと想っていた願い。


彼が----
彼等がどうか--------------


ずっと幸せでいられますように。


だってこれは私たちの願いでしょう?
あなたも望んだ事でしょう?
あなたが------



あなたが碁の神様であるのなら
巡り会った彼等に、
彼等と私とあなたに・・・









最高の幸せが届きますように
















いつの間にか、私はアキラの胸に顔を押しつけていたらしい。
アキラの心臓の音が更に大きく伝わってくる。

?」

怪訝な顔をしていると想像のつく声で名前を呼ばれ、私は更に顔を埋めた。
今の顔は見られたくない。
またさっきよりも大きく振動が伝わる。
気のせいか、打つスピードも速くなったような・・・

「アキラ」

そのままの姿勢で呟いた。

「何?」

顔は見えないけれど、声の調子で今のアキラが凄く優しい顔をしていると分かる。
その顔を思い浮かべて、
私は何もかも全てに、
今までの全てに対して感謝の気持ちでいっぱいにして

「ありがとう。」

一文字一文字を噛みしめるように言葉に換えた。

「 ? いいよ?
 また何時でも来ればいいじゃないか。
 そうだな、今度・・・
 来年の春になったら進藤も一緒に三人で桜を見よう。」

彼もキミも桜が大好きみたいだからね。と
心地良い揺れと共に笑うアキラ。
ごめん。顔は見たいんだけどちょっと無理かな。
今の私の顔、きっと凄いことになってるから。

「・・・ありがとう」

今度は感謝に謝罪を混ぜて
震えないように気をつけて言った。



来年の春・・・・・・そうだね。
来年の春も、
再来年の春も、
十年後の春も、ずっと。

その優しい笑顔で、
柔らかい空気に包まれて、
幸せでいること、願ってるよ。








ひんやりとした風が頬を撫でた。
私を車椅子に降ろしてくれたアキラは自分の上着を脱いで私の肩に掛けながら

「秋ももう、終わりだね。」

次々に散っていくコスモスの花びらを見て言った。

「・・・そうだね。」

まだ顔を上げることの出来ない私は
アキラのくれた上着を握りしめながら呟いた。
キュウっと小さなシワを作るのと同時に、先程まで体を包んでいたアキラの匂いが
ほんのりと蘇った。












ふわり。と、
















あの人の声が聞こえた。












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