その空間だけが、異様な空気に包まれていた。
薄いフィルムを貼ったような、張りつめながらも脆い硬直感。
呼吸をしただけでも破れてしまいそうだ。
でも、どのみち崩さなくっちゃならないのは、お互いに分かり切っていることで、
崩れないとどのみちこのままだと言うことも、至近距離から互いの目を見て理解していた。


「言うことは、無いのか?」

それをしたのはやっぱり塔矢の方で。

「・・・何を?」

それに答えたオレはというと、まさしく蛇に睨まれた蛙状態だった。
塔矢に胸倉を捕まれ、壁に押し当てられている。
今まで大声で言い合うことはあっても滅多に手なんて出すことがなかったコイツが、だ。
そんなことに少し関心を示しつつ、表情には出さずに目の前の顔を凝視した。
最近忙しかったのか、切り忘れられて少し伸びた黒髪。
その黒髪の隙間から覗く目が刃物のようにギラギラ光っていて、下手したら殺されるんじゃないかと思わせるくらいにオレを突き刺してくる。
此処がたまたま声がこもる場所だったから良かったけど、もしロビーとかだったら病院からつまみ出されるぞ?
今何時だと思ってるんだよ。
妙にお気楽気分のオレは、ハァ・・・と溜め息をつきかけたが寸前のところで飲み込んだ。
いま、冗談でもそんなことをしようものなら確実にコイツに殺られる。

「何時から、知っていたんだ?」

更に切っ先がオレに食い込む。
言葉と共に締め上げられた襟元が苦しくて自然と顔が歪んだ。

「お前と、オレが、久しぶりにの見舞いに行った日。」

言いながらそいつの手を振り解いて、よれよれになった襟元を直した。
横目で塔矢を観るとうつむいた顔に乱れた髪がこぼれかかっていて、肩が僅かに震えている。
やっべー・・・
コイツ・・・完全に怒ってるよ・・・・

「なァ・・・・塔・・」
「キミは・・・・・」

なだめようとするオレの声を掻き消して、今まで聞いたことの無い低音が夜の病院に響く。

「キミは・・・っ!」

もう一度音量を上げて繰り返すと、それに合わせてコイツの周りの空気が一瞬身体と同調するように震えた気がした。
あ、ヤバイ。と思った時にはもう遅くて、

「それを聞いて何故平気でいられるんだ!!?」




ドンッ!!!




「・・・?!」
気が付いたときには目を見開いた塔矢の顔が間近にあって、
今度はオレが塔矢を壁に押しつけていた。

「・・し・・・んど・・・・?」

不意を突かれた塔矢は未だ、視界から得る情報と、脳内での状況把握が追いついていないらしく、
目だけを何度もしばたかせてオレを見ていた。
でも、そんなことオレには関係ない。
塔矢、お前は・・・オレが・・

「オレが・・・」

声が震えて裏返っていることも気にしない。

「オレが本当に平気だとでも思ってんのか??!!」

院内に、それこそ一階から最上階まで響き渡る声で叫んだつもりだったのに
オレの声は掠れて、震えて、
目の前の塔矢に辛うじて聞こえるほどの大きさになってしまった。





事の起こりは、そう、
夜中に橘さんからかかってきた一本の電話だった。

が、倒れたと。

夕飯も食って、風呂にも入って後は寝るだけと微睡んでいたオレの頭は一瞬真っ白になった。
大げさじゃなくて本当に何も分からなくなったんだ。
やっとに対しての状況を受け止めることが出来たと、オレなりに理解して納得したと思ってたのに、
そこでオレの脳裏に現れたのは
扇子を口元に添えて優しく微笑むアイツの顔・・・
その後、アイツに重なるようにしてが笑って、何かに引っ張られるように一緒に遠ざかっていく。
いやだ・・・
いやだ、行かないで。
何時もオレを優しく包み込んでくれたのに・・・
頼むまで連れて行かないで
お願いだから、もう、
もうオレの大切な人を奪わないで・・・!


気が付けばオレは病院に来ていた。
乾いた悲鳴を上げる肺と上下する肩を押さえつけて薄緑色の光が溶ける真っ暗な病院を歩く。
はぁはぁと自分の荒い息づかいと足音だけが聞こえる。
秋だというのに体の芯から熱が吹き出し、汗が額から頬、顎へと滑り落ちるのを他人事のように感じていた。
曲がり角を曲がると赤い光が手術中という文字をぼんやりと映し出しているのが目に入った。
まさか・・・
まさかこんなに早く・・・
必死に考えを否定して頭を振っても手術中の文字は依然として赤いランプに照らされたままだった。
オレの掠れた息づかいだけが夜の病院に木霊する。

と、其処にふと他人の足音が混じったことに気付く。
パタパタパタとスリッパ特有の床をたたく音がオレの背後を通り過ぎようとしたとき

「橘さん!!」

オレは空気の抜ける声で呼び止めた。
驚いた橘さんはオレを見ると更に驚いた様子で目を丸くし

「どうしたの進藤君?!びしょびしょじゃない」

そう言って胸ポケットからハンカチを取り出してオレの顔にあてがった。
余りにも汗の量が凄かったのか橘さんはオレが雨にでも打たれたと思ったらしかった。
いや、そんなことより

・・・はっ?!」

語尾が震えていることが自分でもわかる。

「え?・・・あ、ちゃん?・・・ちゃんは・・・・・その・・・」
「手術はっ?手術は成功するの?!どうして倒れたの?!なんでっ・・・なんでが・・・!!」

橘さんの返事も待たずに、オレは白衣の袖にしがみついて半狂乱状態に叫んだ。
それに橘さんは取り乱すことなく逆にオレの肩を押さえて落ち着かせると目線をピッタリと合わせた。

「いい?進藤君落ち着いて。大丈夫、倒れたのは本当だけれど彼女は無事よ
 ・・・・進藤君?」

そのまま座り込んでしまったオレに橘さんは肩をゆすって大丈夫?と声をかけた。
無事・・・良かった・・・・にもしもの事があったらオレ・・・
身体を揺すられる振動にも声にもうわの空で半ば放心状態になっていたオレに橘さんは眉を寄せた。
いきなり静かになって安定した身体にオレは逆に意識を此方へと戻す。

「・・・どうしたの?橘さん?」

ぽかんとしたオレに彼女は依然として険しい表情を向けている。そして

「進藤君・・・あなた・・・・
 ちゃんから何か・・・・聞いた?」

ドクン

一気に血の気がひいて身体が硬直する。
それは目の前の看護婦も同じ事で、すっと立ち上がると

「ごめんなさい。変なこと聞いて・・」

と立ち去ってしまいそうになった。

「まって!」

すかさずオレは制止の声で呼びかける。
振り返った看護婦の顔は蒼い。
きっとオレがその先を問いただすと思ったんだろう。
でもオレはそんな彼女の予想とは180度別の事を口にした。

「・・・オレ・・・・知ってるんです・・・」

落とした視線の端で看護婦の足が強張ったように震えたのを見ながらもオレは言葉を続けた。

「オレ・・が・・」
「進藤君」

だがその声はオレの手をとった橘さんに遮られてしまって

「一緒に来てくれないかしら?」

ポツリとそれだけを言うと脇に挟んでいたカルテを持ち直して立ち上がり
そのままスタスタと行ってしまった。
ワンテンポ遅れて彼女の後を追いながらオレの心の中では何かが沸々と沸き上がってくる。
は大丈夫な筈なのに、これはけっして良いものじゃない。
だって、が平気なら、なんでもないなら何故







何故オレの手を取った橘さんは泣いていたの?
















えっと・・・思いっきり久しぶりなのですが、よ、読んでくださってる方いるのかなぁ(汗)
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