立ちこめたお酒と煙草のにおいに、ボクは密かに眉をひそめた。
どこにでもあるような居酒屋のカウンター。
今日はお父さんの門下生(もう、”緒方さんの”になるんだろうか)の昇段祝いもかねて、行きつけの居酒屋で一杯やる事になった。
灯りを落としオレンジがかったそこは、この世界に入ってから頻繁に足を運んでも、未だに馴染むことができない。
”昇段祝い”が始まって小一時間が経ち、門下生達はそれぞれ世間話を始めていた。
一人カウンターに座るボクの背後では、酔いの回ってきた緒方さんが座敷を一つ占領し、本因坊戦に対する意気込みを半ば無理矢理、
葦原さんに聞かせていた。

(三度目の正直か・・・)

緒方さんの言葉を復唱してみる。
緒方さんは現在も、お父さんから取得した十段位を防衛し続けている。
勢いに乗っていると賞される棋士だが、それでも桑原先生とは相性が悪いようで四年前の本因坊戦
初敗北の後も、計二回、決勝まで進んだのだが桑原先生に惜敗していた。
そして今回、リーグ戦を順調に進んで三度目となるわけだが、棋士仲間の話によると、
またしたも”盤外”でひともめあったらしい。
緒方さんがこうも他人に対して感情を露わにするのは珍しいことだ。
二度目の本因坊戦の前だったろうか、一度緒方さんにそういった話をしたことがあった。
すると予想に反して煙草の煙とともに帰ってきた言葉は、

「アキラ君の方が、そうじゃないか?」

というものだった。

「確かに、あの頃は彼のことばかりでしたが・・・」
「いや、そうじゃない。」
「は?」

その頃にはボクの中で、”彼”はしっかりライバルとして固定されていたので
てっきり、”彼”について言っているのだと思っていた。

「アキラ君は、一つを自覚すると他を疎かにしがちだな。」

もう一度煙草をくわえ白い煙を立ち上らせる。
無言でその様子を眺めていると、緒方さんはやれやれといった風で肩をすくめた。
塔矢アキラ王座はこれだからファンを泣かすんだ。
とお決まりの言葉を口の形で表していた。

くんだ。」






いよいよ”昇段祝い”は本格的に暴露大会になっていた。

(そういえば、今日昇段した人は、なんて言う名前だっただろう)

煙の中から不敵な笑みが蘇る。

(彼のことは自覚した。でも、に対する自覚・・・)

騒ぎは益々大きくなる。
本当なら此処にいるはずだった彼女。

(いつ、退院出来るんだろう・・・)

「よお〜塔矢。」

拍子抜けする声に、更に頭を深く抱え込んだ。

「ど〜したんだよ?そんな暗いカオしちゃってさ。」

そう言いながらボクの背中に全体重を掛けてきたのは、先程まで頭の中で整理をしていた進藤ヒカル本人だった。
随分と酒が回っているらしく、近くで話されるとお酒のにおいがプンプンとした。

「キミ、飲んだね?」

明からさまに厭な顔をしてやると、進藤は眉間にしわを寄せ、ふて腐れた。

「何だよ〜いーじゃんかオレ達もう立派な社会人なんだし。」
「社会人ならもう少し節度というものを考えろ。」

第一キミは塔矢門下ではないだろう?と言うボクの言葉を聞いているのかいないのか、
彼はまた、片手に持っていた焼酎らしきものをグイと飲んだ。

「重い・・・」

すっかり出来上がって気分上々の進藤は良いが、さっきから背もたれ代わりと化しているボクは、
今にも顔とテーブルがくっついてしまうほど前屈みになっている。
しかし当の本人はお構いなしと言った風で

「堅いコト言うなよ〜〜」

などと、けらけら甲高い声を上げる。
まったく、こいつは・・・

「なあ〜塔矢。」
「何?」

わざと冷たく聞き返してして、自分はお茶を一口飲んだ。

「最近、どーよ?」
「っ!!!」

いきなり突拍子もない事を聞かれて零しそうになったお茶を慌ててつかみ直し、進藤に振り返る。

「オマエってほんと分かりやすいのな。」

ニタッと笑ったかと思うと、さっきまでの悪酔いは何処へやら、
緩慢な動きでボクの隣に座り直し、至極真面目な顔を向けてきた。
それは棋士のものに似ていて、どこか違う。

「またなんか悩んでんだろ?オマエ。」
「べつに。」

そのストレートで核心を突く言葉に、ボクは内心ドキッとしながらも、努めて冷静さを装った。
装ったつもりだったのだが

「ふ〜ん。オレはまたてっきり、まだ入院中のがいつ退院出来るのかって煮詰まってるのかと思った。」

図星だ。
どうしてここまで人の心を読めるのだろうか。彼は。
返答に詰まったボクを見て、超能力者か占い師のような彼はしてやったりな顔をする。
そしてこんな事を言ってきた。

「また今度、の見舞いに行くかな。」

風が唸る勢いで振り返ったボクの顔を見て、

「あ、もちろんオマエと一緒に。な。」

慌てたように彼はそう付け足した。

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