「いいか?何度も言うようだが・・・」
「わーてるって!病院内では大声出さない、走らない、
 それからの負担になるようなしゃべりも行動も一切しない!」

手を大げさにヒラヒラとさせながら、ヒカルはもう何度目になるか解らない台詞を呪文のように早口で叫んだ。
見晴らしの良い大通りの脇、きれいに舗装された歩道をアキラとヒカルは歩いていた。
結局なかなか都合の付かない二人がそろって病院に足を運ぶことが出来たのは、
あの居酒屋の件から一ヶ月経っての事だった。
プロの世界に入ってからというもの、周囲の期待以上にその実力を発揮しているアキラとヒカルは、
公式手合いの数も数年前に比べて極端に増え、オフを取る事が難しい。
そのうえ両者ともに若手であると言う事と、更にルックスの良さも後押しして人気が高まり、
手合いの隙間にはイベント事の仕事がねじ込まれ、二人の時間が重なることは故意にでもしない限り無理だった。
その辛くも棋士としては嬉しい事情を考えれば、一ヶ月という期間はむしろ短く感じられる。

「棋院の人、少し困ってたよな?」
「そう・・・だな。」

顔を見合わせ苦笑する。
そう、今日という日を作るために二人はかなりがんばったのだ。

「名古屋のイベント、殆どドタキャンだったもんな。」
「まぁ、代わりの人は幾らでもいるんだし、誰が出たって同じだろう。」
「そだな。」

全く、自分たち‘自身’の魅力に気付いていない囲碁バカ二人である。
今や囲碁界だけにはとどまらない人気を集める彼らの代わりに、名古屋へ送り出された棋士に同情を送りたい。

に会うのも久しぶりだよなぁ。オレなんか、もう二ヶ月くらいになるんじゃねェ?」
「そうだったかな?」

素っ気なく返事をする。
実際のところ、アキラはこの一ヶ月の間も空き時間を見つけてはに会いに行っていたのだけれど。

「まあ、オマエは毎日会ってるようなもんだからな。」

ヒカルがまたニタニタと笑い始めた。

(不安だ・・・)

軽く受け流して、アキラは無意識にここ一ヶ月のの様子を思い返した。
心なしか、最近更にやせて色が白くなっている気がしたので、
正直なところ今この進藤ヒカルというトラブルメーカーを連れて行くのは気が引けた。
だが、があまりにもヒカルの来院を楽しみにしているようなので仕方なく、といった風で
アキラは先程から病院内での注意事項をヒカルに復唱させていたのだ。

「で、の病気、何だって?心臓病?」

突然の話題転換はヒカルの得意技だが、大抵この技を使うときの内容は真剣なものとなる。
そのことが解っているアキラは進行方向を向きながらヒカルと同じく声のトーンを下げて口を開いた。

「・・・判らないんだそうだ。
 病状は心臓病に似てはいるらしいけれど、何かが違うと・・・」

専門知識があるわけではないからボクも良くは判らない。
と、アキラは付け足した。

「いきなり、だったもんな。
 院生手合いの最中に倒れて、病院に運んだらそのまま入院します。なんて。」

そう、
は、まだ病に倒れていなかった頃、ヒカルと共にプロを目指す院生だったのだ。
ヒカルと同じ葉瀬中に通い囲碁部にも入っていた。
アキラと出会ったのはその頃で、
ヒカルと喧嘩をしてしまい一人で囲碁を打とうと碁会所を探した事がきっかけだった。
そのときに見つけた碁会所が偶然市河が受付を務める碁会所で、これまた偶然にもアキラが一人詰め碁を解いていたのである。
それからはアキラと打つために時々碁会所にも足を運び、ヒカルとも毎日囲碁部で打った。
そして部を辞め、さらなる高みを目差し院生になったのだ。
アキラを追うために。

もうすぐプロ試験というときだった。
が倒れたのは。

「あいつなら、絶対になれたのにな・・・」

プロ。と遠くの空へ語りかけるように、ヒカルは天を仰いだ。

「・・進藤、そういうことは・・・・・・」

ヒカルの顔が見えるか見えないかのところまで首を捻ると、アキラは最後まで言えずにまた視線を戻した。
代わりにヒカルが、鼻先を更に上へ向けてから言い切る。

「わかってるよ。こんな事、あいつの前では言わない。・・・・・・言えるわけ、ねぇじゃん。」

その瞳は、遙か遠くの宇宙を見ているようだった。

「一番悔しいのはあいつなんだ。」

ただひたすら真っ直ぐに、前に進んでいたあの頃。
あの頃に誰が予想できただろうか。
自分が疑いもせずに信じてきた未来を何の予告も無しに突然奪われる事を。
その、絶望とも言える喪失感を。
に与えられなかった世界、今其処にいるヒカルとアキラだからこそわかる。
一人だけ意志とは無関係に分けられた世界。

「「・・・・・・」」

沈黙が流れた。
幾分か涼しくなってきた晩夏の風が、無言のまま歩き続ける二人の間を駆け抜けていった。


SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送